どうも!ゼロ(仔ushisan)です。

本日は1日空けての「2023年ゆく年くる年思い出シリーズ」となります。

3本目となる今回は「好調のコアユ釣りからの大惨事」です。

この日は既にご存じの方もいますが、かなりの好調でコアユ釣りを終えて帰路に就いたところ、思いっきり転んで左手首を骨折した日となります。

流石にこれだけの良い悪いの落差のある日をネタにしないわけにはできませんでした。

今だから笑って話せる中々に衝撃的なエピソードです。(苦笑)

釣行日の記録

ひとまずは釣行の記録をば…


におの浜

釣り場はいつもの諸子川

この日は私にしては珍しく早朝から釣り座を用意しての釣行でした。

諸子川の河口付近、北側に陣取りコアユ釣行。

コアユ釣りではこの諸子川がいちばんのお気に入りポイントかもしれません。

コアユ大漁・モロコぼちぼち

この日の釣行記録を遡ってみると、釣り座を構えてから最初の1匹が釣れるまでだいたい1.5時間くらい粘っていたようです。

釣れ始めてからはぼちぼちコンスタントに釣り続け、恐らく1時間に20匹くらいのペースで釣っていたのでしょう。

コアユだけではなく、ホンモロコもぼちぼちと釣れる状況でした。

2023年シーズンはとてもよくホンモロコも釣れるシーズンでしたね。

一時期は堂の川河口付近で掬えるほどいたとか。

この日同じ釣り場で竿を並べていた西川ニッカさんに「200超えも狙えるね!」と発破を掛けられたものですから、意地になって日暮れまで粘りました。

日が暮れてきた18:35頃、夕焼けを遠くに見ながら納竿。

最終的にはコアユのみで203匹となり、このシーズンと過去のにおの浜での最高釣果を叩き出して、におの浜での2023年シーズンのコアユ釣りは終了となりました。

そして、私の人生最大の大惨事がこのあと待ち受けているとはこの時はまだまだ知る由もありません。

ウッキウキで帰路に就きました。

お二人の釣り友に会えました

大惨事の件は冒頭でネタバレもしているので少しおいておいて、この日は二人の釣り友にお会いすることができましたので紹介させていただきます。

西川ニッカさん

お一人目が既に何度も私の日記や「ushisan fishing 掲示板」でも登場している西川ニッカさん(「西川ニッカの釣れづれブログ」管理人)となります。

コアユだけではなく、ありとあらゆる釣りがお好きな方のようで、この日私が釣行に行くきっかけになった方でもあります。

確かお会いしたのはこの日が2回目だったと思いますが、これ以降に2023年は知内川にも連れて行っていただき、川のコアユ釣りデビューのきっかけをくださった恩人です。

知内川釣行の当時は大変なご迷惑をお掛けしてしまいましたが、また許されるのであれば2024年もご一緒したいな…と勝手に思っています。

Harrierkidさん

お二人目がやはり何度か私の日記にもコメントをくださったり、「ushisan fishing 掲示板」にも釣果投稿をたくさんいただいているHarrierkidさんとなります。

Harrierkidさんは楽天ブログの「サヨリ釣り」にて、サヨリ釣り専門のブログを書いておられます。

釣りはコアユとサヨリのみ?の様子ですが、この2魚種のシーズンが重ならないため春から夏にかけてはコアユ、秋から冬にかけてはサヨリと釣りを楽しまれておられます。

また次のシーズンのにおの浜や、日本海サヨリ釣りなどでお会いできればな…と思っています。


お二方ともかなりの釣りキチさんですので、私も学ぶことがたくさんあります。

今後とも引き続きよろしくお願いいたします!

左手首骨折の大惨事

さて、最後になりました、今だから笑って話せるし、皆さんにもどうぞ笑ってくださいと言える話題です。
当時は大変でしたけどね…(苦笑)

大惨事発生

それは本当に一瞬のできごとでした。

帰路について辺りも暗くなり、足元も見えにくくなっていた中、横断歩道の信号が青から赤へと変わる点滅を始めたときに起こりました。

当時の私は少しでも早く家に帰るべく、急いで横断歩道を渡ってしまおうとその一歩を駆け足で踏み出したのですが、その足が見事に空を切り、体全体が前へと吹っ飛んだのです。

足が空を切った理由は至って単純で、暗がりの足元で見えにくかった縁石の角につま先をかすめ空振り、そしてその勢いそのままに駆けだしたわけですので体全体で吹っ飛んだと言ったところです。

吹っ飛んだ直後のことは今でも覚えています。

視界に急激に迫る横断歩道の模様、咄嗟に突き出した左手が地面に着くと同時に「バキッ」っと嫌な音。

右手に持っていたクーラーボックスが胸との間に挟まり、体がバウンドしたと思ったらぐるっと左回転してシュタッと着地。

後ろから「大丈夫ですか!?」の声は掛かるものの、点滅から赤に変わった横断歩道の真ん中に留まると危険だと判断して、急いで渡り切った後…

左手首に痛み感じて確認。

何故か気持ちは冷静で「うん、血は出てないけど手首がふたつあるな。間違いなく折れたな…」と…。

そこからしばらくは横断歩道前の点字ブロックの上で、痛みが激痛に変わり悶絶して気を失いそうになるのと戦いながら深呼吸をしていました。

救急車体験

点字ブロックの上で悶絶すること数分?数秒?すると、通りかかった女性の方に声を掛けられ救急車を呼んで頂きました。

その時の女性とのやり取りですが、実は最初通りかかった際「点字ブロックの上に座り込んではいけませんよ」的な声掛けだったのですが、私の様子を見て事態がおかしいぞと…なったようです。

そのあとさらにお決まりの「どうしたんですか?」的な問いに、私が「転んで手首が折れたみたいです。手首がふたつになってます。」と言うような変な受け答えをし、更に「今から病院言っても緊急外来ですし、救急車呼びましょうか?」的な問いに、私が「お願いします」と返した気がします。

女性が救急に電話を掛けてくださり、状況を説明を始めるやり取りを聞いていると…「20代男性…」と聞こえ、私は「えっ?違います!40代です!」と…

いやはや、このやり取りのおかげで飛び去りそうな意識も戻り、めちゃくちゃ可笑しくなってしまいさらに冷静さを取り戻しました。

救急車が来るまでの間は私の年齢の話題や「家族には連絡しましたか?」と気遣っていただいたおかげで、不安な思いをすることもなく無事救急隊に引き渡され、救急車で緊急外来に搬送されることとなりました。

緊急外来

搬送直後は触診や問診、レントゲン検査をして頂きました。

レントゲン検査の結果については、説明を受けるために処置室?に移されしばらく待機していました。

宿直担当の研修医の方が担当だったようで、私に研修医の方が説明するために、ベテランのお医者様が説明されているのがめちゃくちゃよく聞こえました。
(隣の部屋でめっちゃ聞こえてるんですけど!?)

あと、この時点で私は察しました。

「大怪我ではあるけど、たぶん大したことないなと…」だって説明される前に隣でしている説明ほか雑談いろいろが聞こえてるんだもの…(苦笑)

そこからは命に別状のない私は外科担当医が到着するまで病院で待機することになり、ベッドで寝かされて待たされました。

その間に連絡していた妻が病院に到着したりしました。

整復

「整復」って言うのは、折れた骨を元の位置に戻して固定する処置のことを言うようです。

この処置をするには、当然のように「折れて曲がった左手首を引っ張って伸ばし、元の位置に戻す。」と言う、力業での処置となることを説明されました。

まあ、聞くだけで普通に痛い。

それに加え、「弱めの麻酔下での処置にはなるけど、声を上げるくらい痛い処置になる。」とさらに脅されます。

そんな姿、妻には見せられないので、妻には同席を外してもらって待機をお願いして、整復処置に挑みます…

処置室で左手を掴まれて…ぐーんと引っ張られ…あれ?脅されていた割には痛くなくて…
(この時は既に激痛で感覚が麻痺していたのかもわかりません。)

そしてそのまま手を引っ張られた状態のままで「ギプスを巻いて」と外科担当医が研修医さんに指示したところ…

研修医さんが「やったことが無いのですが…」と不安そうになり…別の宿直担当医さん(教育担当?)が、「じゃあ、自分がやるので今回は見ていてね」みたいなやり取りをしていました。

終わりに

とまあ、長くなってしまいましたが、不幸中の幸い命に別条がなかったため、今だからこうやって面白可笑しくネタとして提供できるようになりました。

当時は当然めちゃくちゃ痛かったし、しばらく釣りにも行けなくなり、家族にもたくさん心配を掛け、そちらでメンタル的にも辛い思いをしました。(苦笑)

焦りは禁物

人間、焦ってしまうと判断能力が低下します。

青信号の点滅と早く帰りたいという焦りが、私を今回の大惨事へと向かわせました。

これ、地面の上だったから良かったと言うのが心底思うことです。

例えば近い状況で、防波堤や堤防の置き竿にアタリが出て、パッと飛びつこうとした際にこれが起こったら…って考えると、本当にゾッとしませんか?

私はこの経験以降、「駆け出す」ことに対してとても慎重になりました。

「別にそんなに急ぐ理由も今はないし、遅刻よりも身の安全の方が大切」だと考えるようになりました。

とは言え、釣りをしていて置き竿に…のパターンは、まだ100%制御できていない自覚があるので今後特に注意しないといけません。

「2023年ゆく年くる年思い出シリーズ」として取り上げ、文章として書き残すことでさらに肝に銘じておきたいと思います。

謝辞

この件発生当時、道端で声を掛けてくださった女性の方。

当時は名前も連絡先も聞けず、また救急隊到着後にはろくに会話もできずに救急車に乗り込んでしまったため、きちんとお礼を申し上げることができませんでした。

こんなところで日記に書いてネタにしたところで、その女性のもとへと届くとは思いませんが、この場を借りて改めてお礼申し上げます。

その節は大変お世話になりました。

左手首は無事完治し、現在は通常の生活を送れています。

本当にありがとうございました。


と言うわけで、今日はかなり長くなってしまいましたが2023年ゆく年くる年思い出シリーズ③はこれにて終わりです。

それではまたあした。